大魔神佐々木、現役引退最後のライバル対決

いろいろと試合前には報道されましたが、無事に清原との対決を終え、佐々木がとうとう現役を退くとなると、やはり熱いものがこみ上げてくる。
佐々木が最後のマウンドとして、地元で清原との対決を望んだ。
また、清原も球団も監督もそれに応えた。
ストレート2球。力のない外角への直球は136キロ。
全盛期、150キロオーバーした佐々木の球と比べたら、衰えは明らかだった。
打てばホームランになったであろう直球。清原はあえて見逃した。
最後の1球。それを待ったという清原は、やはり最高のエンターティナーだった。
伝家の宝刀フォークボールのキレはやはり全盛期のそれには遠く及ばない。
見逃せばボールであっただろう。それでも、清原は全力で振りぬいた。
フォークであることはわかっていた。それをただ1球、清原は待った。
この対決にケチをつけるなんていう無粋なまねがいったい誰に出来ようか。
清原の目に浮かんだ涙がこの対決の全てを表していた。


1998年。横浜スタジアムはかつてないほどに盛り上がっていた。
当時、中学2年だった僕はベイスターズ友の会に入会し、年間で20試合以上の試合を観戦しに行った。
早朝から並び、開門ダッシュして外野内野自由席の最前列を確保する。
毎試合、満員になり、みんなで熱い熱い応援をする。
選手一人一人の応援歌も全部覚えた。
リードで迎えた8回裏が終わるとその時だ。
佐々木!ドドドン!佐々木!ドドドン!
佐々木!ドドドン!佐々木!ドドドン!
この佐々木コールをやる頃にはみんな勝利を確信し、そして佐々木もそれに応えた。
大魔神のテーマみたいなのもあったよね。
うろ覚えだけど、
「もーえさーかる ほのおーのなかへとー せいぎーのはーっきゅう そのてにしーながーらー」
とか、こんな歌詞だったような気がする。
たぶん。うちの引き出しの中には当時の応援歌CDを録音したものがまだ眠ってるはずだけど。
一番の思い出は、スピードガンコンテストに出たとき。
あの時はたまたま、佐々木の後輩にあたる人が出場していて、通路に並んで出番を待っている時に佐々木と斉藤隆が目の前までやってきて、その後輩の人と会話をしていた。
当時既に177cmあった僕だけど、佐々木の大きさにただただ圧倒されたのを覚えてる。


もう7年も前の出来事になるのか。今でも、かなり鮮明に思い出せる当時の記憶。
オペラグラスで谷繁のサインを覗いて次の球種を判別したりもした。
バックネット裏から見て、じっくり投球を観察したこともあった。
どうしたらあのフォークが投げれるのかと必死に握りを開発したこともあった。
優勝した時はものすごく喜んだ。
行く試合行く試合ほとんど勝ったし。
大差で勝つ試合もあれば、接戦もあった。
その接戦の試合には、いつも佐々木がいた。
今なら言える。佐々木は僕の青春のひとつだった。
ありがとう。お疲れ様。